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難しいですね

商店街寄席でもそうですが、

初めて出させていただく舞台はなおさら噺のセレクトに迷います。

以前、ある所で「鴻池の犬」をさせていただきましたが、

これがまったくウケなくてね。

ウケないというかお客さんがついてきていないというのがわかるんですね。

別の所でも同じ事があって、なんやろかと考えると

この噺の後半は、登場するのはすべて犬なんです。

犬が喋っているというのが伝わらないのではと考えるようになりました。

最近、南光師匠の「壷算」を聴いていて、

噺の途中で昔の壷についての説明を地噺でされたのです。

「胴切り」でも同様の演出がされていました。

「壷算」は壷を知らない人がほとんどで、そのように使っていた

とかサイズとかイメージできないだろうという所ですね。

「胴切り」はそもそも胴を真っ二つにされた人間が生きている

訳はないですよ、でもこれ落語だからもし生きていてこんな事に

なったら面白いでしょうという所。

落語は頭のイマジネーションで笑う高度な芸。

プロの噺家さんもやっていて伝わらないとなんにもならないと

感じているのでしょう。

数年前に桂梅団治師匠の「鴻池の犬」を生で見た時ですが、

たしか途中で「これ、犬が喋っているんですよ」という説明を

入れていたような気がするんです。

その時は、なんでこんな事言うんかいなと思っていましたが、

入れないと伝わらないとわかっているのでしょう。

特に上方落語は難しいですよね。

言葉も馴染みがないし、微妙なニュアンスが伝わらない時がありますね。

あとキャラクターですかね。

「喜公」のキャラ。

この前の勘右の「道具屋」を見て「喜公」の演じ方の難しさを

改めて感じましたね。

「ちりとてちん」にも喜公は出ますが、噺によってキャラはちょっと違うし。

江戸の「与太郎」とは違うんです。「いちびり」

一言で言うとそうかなと昔聞いた事があるんですが、

「いちびり」の意味さえ演じる私もよう説明できないのです。

そこが、大阪人じゃないと伝えられない所かなと思います。

大阪に初めて行った時、こっちにもあっちにも喜公と清八がいて

ボケてはツッコむ姿を見て感動さえ思いましたが、

上方落語に出てくる「喜公」はどこにでもいるボケ役の大阪人かな

と勝手に思っています。

ただ、他の人間や江戸落語に馴染んだ方々から見ると

こいつはアホ、バカじゃないのかいなと疑問に思われる。

ですから、こちらで「喜公」を演じる時はある程度

「あほさ」を強めにしないとボケが流れていきますね。

難しいですね。


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2017年05月29日 22:18に投稿されたエントリーのページです。

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