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2013年07月 アーカイブ

2013年07月03日

手水廻し その1

落研に入るとお囃子か寄席文字どちらかの役割をしないといけません。
お囃子は太鼓と三味線。
何にもしない人は「きらず」と呼ばれていました。
1年は人数が6人と少ないので、男は両方。女は三味線をしてました。

音感がない私は、苦手なんです楽器は。昔から。うっ(涙)

ハーモニカも、笛も。アルト笛なんか手が届きません。うっ(涙)

中学1年の夏休みの宿題で作曲してこいというのがあって、
大体、音楽で夏休みの宿題を出すなって気がしますが。
音符もようわからんし、適当に音符を書いて提出したのです。

それで終わりかと思ったら、
先生が生徒の提出した楽譜を見て、みんなの前でピアノで発表する
っちゅうんです。(えー)

さて、その発表の日。
私自身も一体どんな曲になってのんかいなと思いながら、自分の番を待っていました。

みんなはそれなりに音楽になっているのですが、
さて、私の番です。

先生が「えー」と言いながら、ピアノを鳴らそうとするのですが、
「うー、これわからん。」
と止めてしまいました。

「くそー、だからこんな宿題出すな。俺は一生作曲家なんかならないよ。」
(なれませんが)
と捨て台詞を吐いた嫌な思い出があるのです。うっ(涙)

なので、できません。

と言いたいところですが、
仕方なしに太鼓をたたきましたが、正直上手くできません。

このままやったら、これが嫌で落研やめそうな気がしたので、
思い切って先輩に「寄席文字」に専念したいと申し出ました。

まあ、他の5人はお囃子できたので、問題ないかなとというのもありましたし。

先輩は渋々OK出してくれました。

しかし、中途半端な事はできないので寄席文字はよく練習しましたね。
練習と言ってもビラ文字くらいですが。

自分にあってたかもしれませんが、
段々上手になって、先輩からもほめてもらえるようになって、ようやく自信が持てるようになりました。

これが、ネタにもいい影響を与えた気がします。

1年の秋に「手水廻し」できっかけを掴む事ができました。
(続く)

2013年07月07日

手水廻し その2

昭和60年10月、阪神タイガースが優勝しました。
セリーグ優勝が決まった夜、バイトしていたスナックを出ると、
それは、とても今まで見たことのない光景が広がっていました。

店は、日本橋北詰の北、富士屋ホテルの近くだったと思いますが、
そこから、道頓堀の界隈を歩いて地下鉄難波駅に向かいました。

すれ違う人がみんな「六甲おろし」や選手の「応援マーチ」を大合唱して歩いています。
戎橋のあたりは、数えきれない人・人・人。

その後、報道されて有名になった「道頓堀への飛び込み」も始まりそうな異様な雰囲気。
その手前にあったケンタッキーフライドチキンの前にもぞくぞく人が集まって、
カーネルサンダースの人形に向かって「バース」の応援歌を歌っています。

その後、胴上げされて道頓堀へ放り込まれるのですが。

私も段々興奮してきてとりあえず友達のオリオンへ電話を掛けました。
すると、落研の連中が集まっていて大変な盛り上がり。

「おれも行くー」と言って、ミスタードーナツを買いました。
なんでドーナツかわかりませんが、
当時は人が集まっている時、ドーナツを買っていた気がします。

地下鉄の中も「タイガース」で湧きかえっていました。
梅田も大騒ぎ。

多分、大阪だからというのもあるかと思いますが、
あんな雰囲気は、これからも経験する事はないでしょう。

あの時、大阪にいた事を正直感謝しています。

その後、日本一になった時も梅田にいましたが、
交差点で、動けない車の上を人が歩いていたり、まさに無法地帯。

でも純粋に涙を流して喜んでいたファンが圧倒的でしたね。
20年以上ぶりの優勝だったわけですからね。
「ほんま、阪神のファンやめようと思ってたんや。」「やめんでよかったわ。」

知らない人同士が肩を叩き合っている。ええ所や。

さて、オリオンの家に行くと、落研の人達がテレビを見ながら、喜びに浸っていました。
持ってきたドーナツもあっという間になくなって。
あー、懐かしいな。


えっ、手水廻し?そんなん後、後。

えー、というわけで手水廻しは続きます。


2013年07月12日

手水廻し その3

暑い日が続きますね。
手水廻しも続きます。

この「手水廻し」
鶴光師匠と雀々師匠で覚えました。
それぞれ、いい持ち味があってどちらで覚えようか迷いましたが、
ベースは鶴光師匠で覚え、雀々師匠のギャグを入れて仕上げました。

この前雀々師匠のCDを聴きましたが、
多少変わっていましたね。
とにかく、この噺は面白いです。

笑福亭の方で覚えたのは初めてでしたが、
間の取り方は特に勉強になったと思います。

そして、なんと言っても「方言のマクラ」
これは、鉄板でした。

ただ、イントネーションやアクセントはやはり難しく、
和尚さんを「おっさん」と言うのですが、
中年のおじさんの「おっさん」とは違うのです。アクセントが。
指摘されてもよくわかりませんでした。

でもこの噺は田舎が舞台だったので、多少違和感が薄れたかもしれません。


さて、この「手水廻し」を初めてかけたのは、
11月の新月寄席だったと思います。

その年、学生間の対立から学祭はとうとう中止となり、
その抗議も含めなんかしようと
通常の新月寄席に力を入れようという事になりました。

「新月寄席」は関学の学生会館新館の和室でやっていましたが、
いつもはお客さんは1,2人程度。
ほんとうにお客さんの少ない寄席でした。

しかし、その月の新月寄席は、先輩達が友達を引っ張ってきて
20人近く入っていました。

その舞台に立たせてもらい、ラッキーでした。

「手水廻し」
とにかくうけました。
頭をまわすところで、転げるように笑っているお客さんを見て
不思議な感じでした。

なんでそんなにおかしいのか?
これが、うけるという事なのか?

まさに初体験。

この時、この経験がなかったら、落語をやめていたかもしれないですね。

あれから28年。
ひさしぶりにやってみましょうかね。

2013年07月13日

味の招待席

そう言えば、学生時代「味の招待席」という番組がありましたな。

関西ローカルの番組で、今流れている「世界の車窓から」の
時間帯で流れていたような?気がします。

わずか3分程度の番組で、

米朝師匠がタキシードを着て料理の作り方なんかを喋っていましたが。

「三枚に下ろしますな」
このフレーズが当時大変に流行りまして(落研仲間ですが)

たまに落語会でもプロの噺家さんが物真似をされていました。


関西らなではというか
そんなに予算もかかっていないのでしょうが、
番組づくりでも一工夫ありましたね。


短い番組でしたが、毎日楽しみに見ていました。

関西を離れて25年たちますが、
なかなか、楽しみーという番組に会えませんな。


2013年07月20日

枝雀寄席 

福岡では、なかなか生の寄席には行けません。
どうしても情報入手はテレビとなります。

NHK(ちゃんと払っていますよ)やBSなんかの番組をチェックしますが、
こんな時間起きてないやろと言いたくなる時間帯でしかありません。

しかも上方となると年に数えるくらいです。
悲しいですね。

関西にいる時は、テレビやラジオで毎週やっていましたので、
それなりに情報を得る事ができました。

よく、テレビで見ると面白くないと言う方がいますが、当たり前です。
そもそも、落語はテレビ向きではありません。

ラジオならそれなりに集中して想像力を使って楽しむことができますが、
テレビはどうしても噺の中に入るのは容易ではないのです。

ですから、テレビだけでその噺家さんを評価するのは失礼な話なのです。
その場にいてはじめて体験できる空気、表情、息遣い。

これが落語の醍醐味というか、笑いの共有感でしょうか。

ただ、テレビで見ても面白い落語はありました。
桂枝雀師匠です。

大阪ABC、日曜日の午後2時「枝雀寄席」がありました。
1時間の番組で前半はゲストの方との対談。後半は落語。

ほぼ毎週やっていましたから、今考えると凄い人だとの一言ですが、
テレビ的な演出というか、
大きな仕草が特徴でした。

今でもその中の噺がDVDとなっていますが、
惜しい方でした。

やはりリアルタイムで見たいですね。

2013年07月28日

寄席づけ

仕事が忙しくて更新がままなりません。

土曜日は、公民館で勘心さんと二人会でした。

勘心  お血脈
楽狐  手水廻し
中入り
勘心  看板の一
楽狐  次の御用日

11時40分頃会場入りすると公民館の役員の方々から
さあさあ、お弁当をどうぞ

と弁当をいただき、お茶をいただき、コーヒーをいただき

会場の下見。

舞台の上には「サマーイン高木 ハートフル落語会
四笑亭楽狐 粗忽家勘心」
の文字が・・・ うーんやる気まんまん

紅白幕が舞台の両袖で貼ってある。

音合わせで「えー、というわけで、こんにちわ、まーこっち入り」
と言うと「おー」というどよめき。

うーん、やるき億億

主催者の方が盛りあがると力が入りますな。

記念撮影の後、落語会90分。

2席はさすがに疲れましたが、よく笑って頂いたしありがたい会でしたな。

終わった後の、アイスクリーム、おいしかった。

コーヒーも、お茶も

勘心さんの舞台の落ち着き。すごいですな。
マクラは、定番のマクラですが、しっかり掴んでいましたし。
やはり経験ですね。
お客さんをいじる所もあったし。

終わって、バスと西鉄電車と地下鉄を使って商店街寄席へ。
勘朝さんの途中から会場入り。

勘人のシュールさ。おもろい。
「結構です。未成年ですから。」いい間でしたな。

勘尺さん、勘楽さん、勘也さん。実力者が揃うと締まります。

ただ、これが毎回続けるのが難しい。

地道にやるしかないですな。
地道にね。

2013年07月31日

松喬師匠 逝く 

松喬師匠が亡くなられました。
63ですか。本当に惜しい方を亡くしました。

学生時代、阪神野田駅近くの蕎麦屋で「おそばと落語の会」というのがありまして、
松喬師匠・松葉師匠(後の7代目松鶴師匠)・呂鶴師匠・松枝師匠が勉強会のような
ものをされていました。

落語会が終わるとおそばを出してくれまして、ほんのりといい落語会でした。

それ以外も独演会など松喬師匠、当時鶴三師匠でいたな。

落語会や寄席は結構行きました。

落語にはその人の人柄が出ると言いますが、

本当にいい方、落語に真摯な態度が端々に出ていて、
大好きな落語家さんでした。

大ネタもよかったですが、前座ネタや酒ネタがよかった。

理知的な感じもありましたが、松鶴師匠の面影を感じさせた方でした。

本当にもったいないです。
ご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

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